岩に刻まれた古代美術

http://www.minpaku.ac.jp/museum/exhibition/thematic/sikachi20150521/index

お腹の痛くなるような思いもしつつ、7年前から実行委員の一人として準備に参加させていただいてきた国立民族学博物館の企画展がようやく昨日開幕しました。大阪でお時間があったらぜひご覧ください。私がフィールドにしている村のお話です。

カムイと生きる

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ドキュメンタリー映画『カムイと生きる』を鑑賞した。
 「数々の武勇伝を持つ男「アイヌの治造」こと浦川治造。
 その屈強な体躯・トレードマークと呼ぶに相応しい白く長い髭は、見るものに強烈な印象を与える。

親しい人々や治造本人によって語られる数々の逸話や想い出。

様々な言葉の隙間から、浦川治造の価値観や想いが見えてくる。

アイヌとして生まれ、アイヌとして育ち、アイヌとして生きる治造の暮らしは常に自然と共にある。

治造が先人から受け継いだ知恵、生き方。

治造は常に自然を敬い、自然への感謝を忘れない。

アイヌ民族は動植物や自然現象など、あらゆるものに「カムイ」が宿っていると考えている。

自然に生かされ、自然と共に生きる。

治造の「カムイ」への祈りは強く、深く、自然に対する想いに溢れていた。

治造の暮らしに触れ、言葉に深く耳を傾ければ、現代に生きる我々が忘れかけている大切なものが見えてくるかもしれない…。」(映画のウェブサイトより)

主人公の浦川さんとは長いお付き合いになる。思えば、12年前の結婚式のときには乾杯の音頭をとってもったけ。本人はもう忘れたと言ってたけど。ありがたいことだった。こうして映画を見直すとあらためて浦川さんの凄さを感じた。見ていない人はぜひ!

南京!南京!

IMG_0095.JPG 今日は『南京!南京!』(陸川監督・2009年)の上映会に出かけた。陸川監督の講演会もあった。映画は、1937年の日中戦争の南京戦とその後に起こったとされる南京事件を題材に、臨場感を出すためにモノクロで制作されている。事件の模様を日本兵士角川の視線から描いている。日本では一般公開はされていない。
 監督は語る。日本人の視点から映画を撮ったのは、普遍的な人間と戦争の関係を描きたかったから。日本兵の日記などを読んで、普通の人間が残虐行為をしてしまうのはなぜかを問いたかった。映画に登場する戦勝時の日本の祭りは、文化によって自分の考えや思想というものがなくなり、洗脳が行われることを示したかった。日本で一般公開したら、日本人は耐えられないだろう。最低ラインを越えているから。だが、日本の各映画館で上映して欲しい。映images.jpg画制作の意図は、70年前の戦争を理解して欲しいということ。日本人は、アメリカの原爆投下で数十万の人々が亡くなったことを知っている。中国人は、原爆と同じように南京のことを知っている。この映画で日中双方で共通の歴史の記憶を持って欲しいと思う。そして、映画を通して日中間の友好を育んで欲しい。俳優が素晴らしいが、90人くらいと面接して決めた。彼らも虐殺を信じていなくて、とても驚いていた。水上さんは8ヶ月の撮影の間、毎日涙を流していた。普通の人間だったら耐えられなかったと思う。彼らがいなかったら、この映画も普通の抗日映画と変わらなかった。今日はいかにも平和な大学に来て、悪魔の夢を与えるような気がした。でも、このような平和が築かれる以前は戦争があった。中国もこの2000年間ずっと戦争を経験して、人や文化がないがしろにされてきた。この映画を通じて、歴史の記憶を共有することと戦争を反省することを感じ取って欲しい。
 映画の最後で2人の捕虜を解放した後、主人公角川は自殺する。そこに監督のやさしさが滲み出ていると感じた。

書評: 『知はいかにして「再発見」されたか アレクサンドリア図書館からインターネットまで』

“Reinventing Knowledge: From Alexandria to the Internet”

イアン・F・マクニーリー/ライザ・ウルヴァートン

Ian F. McNeely / Lisa Wolverton

冨永星=訳

長谷川一=解説

日経BP 2010年9月21日

著者は二人とも、オレゴン大学歴史学部で歴史を教える。ハーバード大学のジュニアフェローでの研究をもとに本書を執筆した。

本書は知そのものの歴史ではない。知識の制度化の過程を古代から現代に至るまで主にヨーロッパを中心に詳細に論じたものである。それゆえ、いわゆる知の巨人と言われる人々ばかりでなく、例えばアレクサンドリア図書館の建設に着手したデメトリウスや、またヴィルヘルム・フォン・フンボルトやヴァネヴァー・ブッシュなど一般には知名度の低い人物にも光が当てられている。本書では、ヨーロッパの知的生活を支配してきた、図書館と修道院と大学と文字の共和国と専門分野(ディシプリン)と実験室(ラボ)の6つの制度を取り上げている。これらを目次に沿って概観してみよう。

「第1章図書館-紀元前三世紀~西暦五世紀」においては、古代ギリシャ時代では話し言葉こそが真実につながるというソクラテスの信念に代表されるように口承文化が中心であり、書物に頼るソフィストは軽蔑されていたものが、次第に知の中心として図書館が位置づけられるようになる過程を詳述する。図書館は、主として口伝えだった学問文化を、文書を中心とする文化に変えて、ギリシャの知的伝統を、持ち運び可能で継承できるものにしたのである。

「第2章修道院-100年~1100年」においては、ローマ帝国崩壊とともにキリスト教がヨーロッパを支配すると、図書館は西ローマ帝国では保護されることなく衰退していき、知的資産は図書館から修道院に引き継がれていくという過程が述べられる。修道院は、ヨーロッパにおいて文明が滅んだ後に、数百年にわたって、学問を守り続けただけでなく、文書の研究と、キリスト教的な終末観の影響からきた時間の区切りや測定の問題をつなぐ役割を果たしたのである。

「第3章大学-1100年~1500年」においては、長期にわたって辺境にある修道院で知識が伝えられてきたが、11~12世紀に至って人口の増加とともに都市が発達し人々が集住するとともに、知識も都市に集まり、その知識を伝達し討論する場として大学が発達する過程が述べられる。当初の大学は、現代のような施設を持たず教師と学生の人的ネットワークとして機能した。ヨーロッパでは、中世の復興によって社会に流動性が生まれ、新しい町ができて、キリスト教とは異なる世界との接触が増えた。こうした空間的広がりによって、改めて知を組織化する必要がでてきたのである。

「第4章文字の共和国-1500年~1800年」とは、手書きの郵便書簡からはじまり、やがて印刷された書籍や雑誌によって縫い合わされることとなった学問の国際共同体のことを筆者は指す。この言葉の起源はローマの雄弁家キケロにまで遡ることができるという。宗教戦争などにより学術文化が危機に瀕するなか、回覧され書き込みが加えられていく手紙のやりとりによるネットワークは、それまでとは違う知識人、過去の制度から独立し、新たな発見を受容する、ヨーロッパの知識人を作り出していったのである。

「第5章専門分野-1700年~1900年」においては、啓蒙運動によって、大規模な知の市場がはじめて誕生するとともに、今日専門分野(ディシプリン)と呼ばれている知的な労働の専門化がはじまった過程を論じる。これはプロシアにおいて顕著であった。新教の福音派と人文主義者とくにフンボルトの功績により、初の国による大がかりな公教育の制度が作られたのである。そして近代的な大学が生まれ、多くの専門分野が成立する。専門分野における教育の方法はセミナーであった。それと同時に、大学出の専門家の新たな市場が形成された。

「第6章実験室-1770年~1970年」では、実験室が、客観的な事実の範囲を物理的に限定し、そしてその方法をより広く大衆へ、私的な空間へと拡張することにより、科学の専門家たちの領域を広げた過程を論じている。現在、アメリカだけでなくこの地球上において、知の制度として残っているのは、「実験室(ラボ)」と専門分野の二つだけだと筆者は述べる。

「結論-そしてインターネットへ」では、これまで概観してきたように、知のそれぞれの制度が、多種多様な古い知の実践を省いたり再定義したりして、新たな全方位型の原理に服従させ、前の制度に取って代わっていったことが述べられ、インターネットは、「デモクラシーや商業の命令に従う普遍的な図書館」という古代の夢が蘇り、大衆が、象牙の塔の専門分野の外側で情報を、そしてひょっとしたら知を、共有できるようになったのだと筆者は論じている。

本書は古代から現代に至る知の制度のありようをかなり大雑把に分類して論を進めている。単純化すぎるきらいもあるが、全体を俯瞰するには致し方ないのかもしれない。また、ヨーロッパが中心ではあるが、必要に応じて中国・インド・イスラムの事例をひくなどして奥深さを与えている。さらに、女性の視点に立って、知の制度に貢献した少なからぬ女性について言及している点には好感が持てる。

インターネットは今まさに発展しつつある知の制度であるが、本書で述べられているとおり、知の制度は時代とともに移り変わっている。インターネットという知の制度もいずれは他の何かに置き換わるのかもしれない。そうしたことを考える上でも、本書のように知の制度の歴史を振り返ることは意味のないことではなかろう。

壮大なデュエットの芸術 ~ハトラーエフ夫妻のホームページの紹介~ その2

http://www.khatylaev.sakhaopenworld.org/index.html

 

前回はホームページの概要を紹介したので、今回は細部を紹介していくことにしよう。ページの細部は、イントロダクションのほか、ビデオ、音楽、サハの楽器、アメリカとメキシコへのツアーに分かれている。

ビデオのページでは、ホムスのルドミラ=エフィモヴァとドラムのバルドルジ=ホークヘイギンと共演した2006年のヤクーツクでの公演のサンプルが4曲、日本の太鼓グループ”鼓童”と共演した2006年のヤクーツクでの公演のサンプルが2曲、ハトラーエフ夫妻の2007年の韓国での公演のサンプルが1曲、それぞれ迫力あるライブ映像とともに視聴できるようになっている。”鼓童”との共演はユーラシアンクラブ代表大野遼がコーディネートを任され成功させたものである。

音楽のページでは、2004年のアルバム”The Sacred Thread of Creation”から全15曲、2005年のアルバム”The Blessing Songs of Nature”から全12曲、2006年のアルバム”The Blessed Way”から全9曲、美しいアルバムのジャケットを眺めながら、各曲1分間ずつ視聴できる仕組みになっている。サンプルを視聴して気に入ったものを見出してからCDを買い求めることができる。

サハの楽器のページでは、サハの伝統的な楽器をサンプルのビデオ映像とともに紹介している。トップはホムスで、「枝分かれしたフレームの基部に一方の端を固定した薄い金属の舌によって構成される楽器である。プレーヤーは自分の口の中でフレームを保持し、それが共鳴空洞を形作り、そして楽器の舌を鳴らすのだ。」と簡潔に説明されている。次いでキリームパという”サハのバイオリン”と呼ばれる2弦の弦楽器が紹介されている。さらに、大小のギターのようなタンシル、太鼓のようなドゥングル、マラカスのようなシクシール、角笛のようなアイアーン。そういった興味深い伝統的な楽器がサンプルのビデオ映像によって紹介されている。どういった音色なのかはぜひホープページを開いて実際に聴いていただきたい。

最後に、夫妻が昨年訪れてコンサートを開いたアメリカとメキシコへのツアーの様子がスナップ写真とともに紹介されている。ワシントンをはじめとする各地のホールや学校、大学などで行われた”Siberian Heat”と題されたコンサートが盛況だった様子がホームページから察せられる。

夫妻は長い間忘れ去られてきたサハの音楽技法を復活させ、それを普及させる活動に献身してきた十分な実績を持っているが、以上見てきたように、インターネットという現代のテクノロジーを駆使して、さらにその音楽を広めていこうと努力していることには本当に脱帽する。

ハトラーエフ夫妻
ワシントンでのハトラーエフ夫妻のスナップ

最近の話題としては、この3月1日に、ハトラーエフ夫妻が育成した伝統音楽の子供のグループの演奏によるコンサートがヤクーツクにて開催され、注目されたという情報も夫妻自身からクラブに寄せられた。今後も夫妻がサハの伝統音楽の普及に活躍されることを願ってやまない。

壮大なデュエットの芸術 ~ハトラーエフ夫妻のホームページの紹介~ その1

http://www.khatylaev.sakhaopenworld.org/index.html

 

「彼らのスピリチュアルな民俗音楽はサハの土地との深い繋がりを表現している。その音楽の演奏とフォームは、遊牧民と異教徒の歴史年代記にまで辿る古いルーツを有している。」(HPより)

 

サハ共和国のヤクーチャの音楽家であるゲルマンとクラウディアのハトラーエフ夫妻はユーラシアンクラブでもお馴染みだろう。新潟県小出町で行ったフェスティバルで初めて招聘して以来、すでに5,6回は招聘してアジアシルクロードミュージックキャラバンや音楽フェスティバルの常連メンバーとして参加していただいている。

また彼らの希望で新潟県佐渡市の鼓童を訪ねたのがきっかけで、鼓童のシベリアツアーが実現し、クラブ代表大野がサハ共和国のコーディネートを任され、ヤクーツクでの2公演を成功させた。

また、サハ共和国文化省アンドレイ・ボリソフ文化大臣が、英雄叙事オロンホから創作された音楽劇「キースデビリエ」の日本版の総合プロデュースを大野が行った彩の国さいたま芸術劇場での公演でも、シャーマン役で出演して脚光を浴びた。

今回は2度にわたり彼らのホームページ、およびそこに記されたサハの民族音楽について紹介することにする。

ホームページはトップページでハトラーエフ夫妻とサハの民族音楽の紹介があり、そのほかビデオ、音楽、サハの楽器、アメリカとメキシコへのツアーのページで構成されている。文章はもちろん、音楽の視聴もでき、さらに民族衣装を纏った夫妻(写真)、民族楽器、サハの景観などの写真も随所に掲載されていて、目と耳で楽しめるホームページである。

ハトラーエフ夫妻の音楽とはどのようなものだろうか。

 

「夫妻が創造した音楽の根本的な方針はサハの音楽演奏において永いこと忘れ去られていた伝統的技法を利用することである。鳥の歌やさえずり、凍った地面を走る馬のひづめの音…など、サハの文化に織り込まれた自然世界の圧倒的な音を模倣しているのである。」(HPより)

 

「音楽は、サハの土地とその住民の魂である。もし寒い冬の息を経験したければ、もし春に目覚める自然に耳を傾けたければ、このサイト上で視聴できる音楽によってその強烈な感覚を味わうことができる。」 (HPより)

 

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ハトラーエフ夫妻

次回は更にホームページの細部を見ていくことにする。