カルムイキア訪問記

カスピ海の北西岸に位置し北海道ほどの広さをもつロシア連邦カルムイキア共和国。この国の人口は32万人ほどで、モンゴル系のカルムイク人が約半数を占めるほか、ロシア人をはじめ60近くの民族の住む多民族国家である。また、国土がヴォルガ河の西側にあり、カルムイク人がチベット仏教徒であることから、”ヨーロッパ唯一の仏教国”といわれている。

この夏、わたしは彼の地に3度目の訪問をした。行くたびに感じることをいくつか記しておこうと思う。

まず第一に感じることは、だんだん民族主義的な色彩を強めているということである。6年前には殺風景だった首都エリスタの町中には、仏教的なモニュメントやダライラマ14世の写真があちこちに掲げられるようになった。レーニンは、カルムイク人の血も混じっていることから、民族の英雄として像が破壊されることはなかったが、新しくできた仏像の方へ180度向きを変えられていた。仏様に対して後ろ向きであるというのは失礼に当たるからだそうだ。町の郊外にある大規模な寺院は数年前に完成したが、このたびも新らしく町中に仏塔(ストゥーパ)がサンクト=ペテルブルグから来たロシア人の仏教徒の若者達の助力により完成し、その除幕式にはネパールからわざわざ高僧が招かれていた。また、当地の人間国宝である民族叙事詩「ジャンガル」の歌い手であるジャンガルチの家に招待を受けて訪れたが、彼は髪を伝統的な弁髪にしていた。その家は国家から支給されたものであるという。このように、ソ連時代に迫害されていた伝統文化が、急速に復興しつつあるのだ。ただ、このようなカルムイクの民族主義的な風潮に対し、同国のそのほかの民族は反発をもっているようだ。例えば、わたしの親友であるカルムイク人は、自分にはロシア人の友達はいないと言う。彼の仲間20人ほどでヴォルガ河にキャンプに行ったが、たしかにロシア人はひとりもいなかった。白人がいるかと思ったら彼はユダヤ人だった。

しかしながら、このようなカルムイク民族主義は、汎モンゴル主義に還元できるものではない。カルムイク人はモンゴル系とはいっても、歴史的にはオイラートと呼ばれる一団であり、そのほかのモンゴル系とは言語的にも衣食住についても多少異なっている。とくにカフカースの影響をよく受けているという。また、わたしは帰りのシベリア鉄道でブリヤート人と知り合ったが、彼らが言うには、カルムイキアはステップしかなくてつまらない。我がブリヤートには、バイカル湖があり、森林や山もあって本当にすばらしいとお国自慢をした。また、近年中国の新彊ウイグル自治区(ここはカルムイク人の故地であり、多くのカルムイク人が現地に住む)からカルムイキアに移住したカルムイク人のU氏によると、移住の途中でしばらく滞在したモンゴル国のウランバートルでは、差別を受けて大変苦しい思いをしたという。今では、同胞が国家を築いているカルムイキアに落ちつて暮らしている。このように、同じモンゴル系同士とはいっても一筋縄で済むことではない。カルムイク人にとっては、やはり同胞である新彊ウイグル自治区のカルムイク人と最も交流が盛んなようだ。エリスタに住む友人の音楽家ふたり(うちひとりは作曲家でカルムイキア国歌を作曲した人)は、つい先日新彊までコンサートを開きに出かけたそうである。

次に感じたことは、大統領キルサン=イリュムジノフの独裁が強まっていることである。町中には大統領の肖像が至る所に掲げられていて、カルムイクの友人は冗談混じりに北朝鮮の金成日のようだと言って笑った。なんとキルサン=ウォッカなる物まで販売されている。若くして億万長者となった大統領は優れた人物ではあるが、良くない噂も聞かれる。昨年はヤブロコ(ヤブリンスキー代表)シンパの女性ジャーナリストが、大統領の蓄財について取材している途中殺されるという事件も起きた。また、反大統領派の新聞は発刊禁止となり、ヴォルゴグラードで印刷したものを陸送するようになったいる。カルムイク人の友人は大統領に対して「人間誰でも5パーセントの欠点はあるよ。」と言ってやり過ごすが、当地のロシア人などにとっては評判はすこぶる悪い。また、大統領が国際チェス協会の会長をしていることから、昨年は国際チェス・オリンピックがエリスタ市で開催され、別世界のような立派なシティ・チェスという区画ができた。だが、病院や学校など予算を使うべき場所はほかにあると思うのだが。

橋本政権の提唱した「シルク・ロード外交」によって、最近日本へ留学する中央アジアの人々が増えた。わたしのカルムイク人の友人もふたり日本に留学している。ただ、このプログラムについても、現地の状況とは大きく異なる銀行のコンピュータ・システムを見学させるなど、意味のないことも多い。わたしの友人達が少しでも将来のカルムイキアに役立つ知識を身につけて帰国されることを願う次第である。