カルムイクを再訪して

「当選したら各家庭に百ドルずつ配る」という選挙公約を掲げて大統領に当選した30歳の富豪がいる。そんな奇妙な新聞記事を見かけたのがカルムイクを知るきっかけだった。それは1993年のこと。興味を引かれた私は同年夏さっそくその地を旅してきた。

カルムイキア共和国はロシア連邦の一構成共和国であり、カスピ海の北西岸に位置し北海道ほどの領土を有する。人口は32万人ほどでその半数が西モンゴル族のカルムイク人だ。彼らの故地はジュンガル地方(現在の中国・新彊ウイグル自治区)であるが、さまざまな歴史的経緯によりこの地にたどり着いた。大国の狭間で辛酸をなめ、異民族に囲まれながらも、自らの一体性を失わずに今日まできた。領土がヴォルガ河の西側にあることから、「ヨーロッパ唯一の仏教国」というのが彼らのアイデンティティのよりどころのひとつとなっている。

私が初訪問した当時は、長かったソ連時代の呪縛を解かれたばかりで、民族意識のまさに復興期であった。学校の教室の壁にはチンギス=ハーンの肖像が描かれ、町の食堂にはダライ=ラマの写真が飾られていた。チベット仏教寺院もひとつが再建中で、政府庁舎の屋上には青地に黄色の蓮の花が描かれた新国旗がはためいていた。そして、出会った同世代の若者たちの活力が印象に残った。

あれから5年、この秋に私は再びかの地を訪問した。どのような変化が見られたであろうか。この5年のあいだ、カルムイキアは若く有能な大統領のもと順調な発展をとげていた。彼は、私財を投じて国家の発展に貢献しており、「ダライ=ラマを招いて宗教国家にする」といった過激な発言の一方、モスクワを刺激せぬよう自国憲法を廃止して連邦に留まる意志を明確にするなどバランス感覚に優れた人物だ。そのおかげで、チェチェン紛争のような災禍はなく安定している。ただし、大統領の蓄財についてのスキャンダルを追っていた女性ジャーナリストが今年殺されるという事件があり、裏にはいろいろありそうだ。

首都エリスタは人口9万人ほどの閑静な小都市であり、一見5年前と変わらずに見えるが、各所にさまざまなモニュメントが築かれ、民間企業の建物も建ち始めていた。郊外には、事業で成功した人達の豪邸も建っている。また仏教寺院も完成し巨大な仏像が安置されていた。

顕著な変化は、外との人の交流が増えたことだ。カルムイク人はディアスポラのように世界各地に居住しているが、中国の故地から移住してきた人やアメリカ・フィラデルフィアのカルムイク・コミュニティから親戚を訪ねてきた若者などと知り合った。また、今年はこの都市で国際チェスオリンピックが開催され、日本を含め世界各国から選手団が来訪した。大統領がだいのチェス好きで、国際チェス協会の会長をしているからだ。それに合わせて仏教のシンポジウムや民族芸能祭も催された。シンポジウムでは、地元の学者のほか日本の田中克彦先生やインドの亡命チベット人の若者らが講演した。「夕鶴」をもとにしたミュージカルも上演されたが、ヒロインはモスクワ留学中の日本人の女の子だった。この期間中、エリスタは賑やかに華やいでいた。

前の訪問で特に親しくなった友人達について述べよう。モスクワ国際関係大学の学生だったSは、一年間の台湾留学を終え、将来ビジネスを始める準備としてまずは銀行マンになって得意そうだ。モンゴル学を学んでいたBは、経済官僚となっていたが将来はモンゴル学の専門家になりたいと言う。そのBはつい先日、お気に入りのドンブラ(カルムイクの伝統的ギター)を携えて日本に留学してきた。彼ら若者は町の中心の露天のバーで夜遅くまで語らう。とても生き生きとした表情だ。先頃、大統領以下大臣が全員隣国のウクライナに短期間出かけ、国家運営を若者達にゆだねるという実験的な試みも行われたという。新しい国づくりの担い手としての自負を彼らに感じた。その友人達の今後の舵取りに注目していきたい。